衛生学・公衆衛生学は、 人間の生存に影響を及ぼす様々な関連要因を踏まえ、 健康の保持・増進を目的とする学問である。
紀元前4世紀頃、古代ギリシャ。医学の父・医聖と呼ばれたヒポクラテスが、四体液説(血液・黄胆汁・粘液・黒胆汁)を説いた。
紀元後2世紀頃、ローマ時代。ガレヌスが衛生という概念に対して初めてハイジーンという語を用いた。
1673年、微生物学の父、レーウェンフックが顕微鏡を作り、微生物を初めて観察した。
1796年、ジェンナーが天然痘予防のための種痘法(牛痘接種)を創始した。
1866年、ベルナールとパスツールが低温殺菌法を考案、また、パスツールは狂犬病ワクチンを発明した。
1882年、コッホが結核菌を発見した。
1894年、パスツール研究所の細菌学者であるイェルサンがペスト菌を発見、日本の細菌学者、北里柴三郎も、ほぼ同時期に発見した。
1910年、エールリッヒと秦佐八郎が梅毒治療薬のサルバルサンを合成、ペニシリンが使用されるまでの間、特効薬として使用された。
1929年、フレミングが青かびから世界初の抗生物質であるペニシリンを抽出した。
1945年、国際連合が設立された。
1946年、WHO憲章が採択された。
1948年、国連総会で世界人権宣言採択。WHOが正式に発足、WHO憲章が発効した。
1964年、第18回世界医師会総会でヘルシンキ宣言が採択され、インフォームド・コンセント(医療情報に関する説明と同意)に関する詳細が初めて記された。
1972年、国連人間環境会議(ストックホルム会議)が開催された。
1978年、アルマ・アタ宣言の中でプライマリ・ヘルス・ケアが提言された。
1981年、エイズが初めて報告された。
1986年、オタワで開催された「ヘルスプロモーションに関する第1回国際会議」でオタワ憲章(健康増進の考え方と活動方針を提示)が採択された。
1992年、リオデジャネイロで環境と開発に関する国際会議(地球サミット)が開催された。
1994年、エジプトのカイロで国際人口開発会議が開催された。
1997年、地球温暖化防止に関する京都議定書が採択された。2015年には、第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)でパリ協定が採択された。
伝染病予防法が制定された。
第一次国民健康づくり対策が開始された。
第二次国民健康づくり対策(アクティブ80ヘルスプラン)が開始された。
後天性免疫不全症候群の予防に関する法律(エイズ予防法)が施行された。
感染症法が施行された。
健康日本21(生涯を通じる健康づくりの推進を基本的考え方とし、生活習慣の課題について、栄養・食生活、身体活動と運動、休養・こころの健康づくり、煙草、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、癌の9分野に関する基本方針等を掲げている)が開始された。
健康増進法(国民・健康栄養調査、保健指導、受動喫煙の防止など)が施行された。
「公衆衛生は、疾病予防、生命延長、および精神的・肉体的な健康と能力の保持増進の科学・技術であって、地域社会の組織的な努力によって、環境衛生、伝染病予防、個人衛生における個人の衛生教育、疾病の早期診断と予防的治療のための医療と看護の組織化、および人々の健康保持に必要な生活水準を保障する社会機構の開発を図るものであり、これらの諸活動の組織化によって、すべての人々が生来の権利とする健康と長寿を実現させることができる」
1978年、WHOとユニセフの共催により旧ソ連のアルマ・アタ市で 開催された国際会議で、アルマ・アタ宣言が採択された。 この宣言に示された健康問題への取り組みの 基本方針がプライマリ・ヘルス・ケアである。
PHCは、地域社会に根ざした方法と資源で住民自 らが参加した保健医療システムをつくることを目指しており、 専門病院をつくったり高度医療を提供したりすることではなく、